2020/10/20 18:40
妻の実家、青森県五所川原市のりんご畑は、妻の祖父が戦後に植え以来60年家族で守られてきました。
後継者がおらず、妻の両親が老体に鞭をうち毎年美味しいりんごを届けてくださっておりましたが、
ついに限界が来てしまったようです,,,
仙台で生まれ育った私には簡単に「仕方ない」と割りきれるような環境ではないため、なんとかならないかと何年も考えてきました。
しかしパン屋と子育てにあまりにも手がいっぱいで、ここ数年は陸続きにも関わらず津軽の地が遠く遠く感じておりました。
今夏こそは帰省しようと予定を立ててもコロナの影響で帰れず、ついにこの時が来てしまった,,,とても辛い瞬間です。
義祖父がいちばん辛いだろうと思います。
小さなりんご畑のため、昔から兼業で家族全員、親戚全員で手を貸し合い支えてきたそうです。
しかし次世代を担う人材は仕事を求め都会に。残された親戚たちも皆高齢で体力が衰え、どんどん畑は無くなっていきます。
正直、そんな流れは何年も前から理解していました。
りんご畑を守るためには、家族で五所川原に帰る必要があり、それ以外は無いと思ってきました。
それには越えなくてはいけない壁がいくつもあり,,,
私1人の力では、どう考えても足りない、無力さを実感していました。
パン屋をなんとか確立し、人を雇えるまでに拡大し、ある程度任せられるようになれば、空いた時間で青森へ行き現地の人たちの協力も得ながら義父母と畑を守ることが出来るのではないかと、遠回りでもその道を選びました。
しかしそれにはあまりにも時間が掛かりすぎる。数年前帰省した時に義父母を見て、もう何年も出来ないだろう,,,私は率直にそう思いました。
私の考え方はあまりにも甘く、計画的に見えて全く計画性はありませんでした。
りんご畑から見える岩木山。
傾斜地にあるため水捌けがよく、とても瑞々しく甘いりんご。
60年守られてきたりんごの木。
後継者がいなければ、全て伐採されることになります。
近くに妻の兄がいますが、りんごだけでは全く食べてはいけない。本業の方も人員が足りず忙しくてなかなか手伝うこともできない。りんごは機械化できない農業のため、家族で親戚で総動員でやらなければ守ることはできないのです。
とても悔しく、不甲斐ない。
これが地方の抱えている過疎化という問題なのだと改めて感じたのと同じくらい、私の無力さを呪っております,,,